こんにちは。
ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます!
Miryと申します。
今回の記事は、こんな感じのことをお伝えする内容です。
・「察してくれ」と思う人の
不満・主張
・察して行動することを
相手にも求めてしまうことについて
これ、「察してくれよ」と思う人の気持ちは、「言ってくれよ」と思っている人には伝わりにくいと思います。
逆もまた然り。
家事や仕事の揉め事においては、よくあることだと思います。
「察してくれ」VS「言ってくれ」の対決って、人生の永遠のテーマな気がするのは、私だけでしょうか。
何やかんやで、これが原因の揉め事が多いような。
私は元々、

言ってくれなきゃ分かんないもんね。
私もちゃんと意見言うようにしよう。
派の人間だったのです。
でも、ある時に「それくらい察してくれ。何で分かんないかなあ。もう。」と、ポリシーと真逆の考え方になってしまったことがあります。
まあ、普通の夫婦喧嘩なんですけど。
自分がなぜ、こんなにブレブレだったのかを考えたり、夫と話したりした結果、どちらの立場の主張もよく分かったんです。
そのため今回は、「家事や仕事」の観点で、その辺りをお伝えしていきたいと思います。
まず今回の記事では、「察してくれ」派から。
「察してくれ」派の人には共感いただけるかと思います。
そして何より、

「察してくれ」なんて思っているやつの気が知れない・・・
こんな方にお読みいただければ、少しは「気を知る」ことができるのでは、と思います。
ちなみに、「言ってくれ」派の主張については、こちらをご覧ください!
(あくまでミリー家で起きた話なので、参考程度にお読みください!)
「察してくれ」派の不満・主張
では、「察してくれ」派の不満・主張を、具体例を出してお話します。
例えば、自分が大変な思いをして家事や雑務をやっていて、周りや相手が全然手伝ってくれない時、

そこは「手伝おうか?」とか言ったり、一緒にやってくれよ。
と思う人、いると思います。
その時点で、自分が何をやっているかは相手に伝えているという前提で。
で、何をやっているか伝えているにもかかわらず、相手が何もしなかったら、流石に不満だと思います。
「手を動かしてくれない」こともそうですが、「色々やっていることに対して、気にも留めてくれない」ことに対してです。
「察して何か手助けをする」のができないことそのものじゃなくて、
「こちらが色々やっているのに気にも留めない、配慮もない」こと
これが不満なんです!!ここ重要。
そりゃ、察して何かをやってくれて、実際に役に立ったら、もう言うことないですが、それ以前の問題なのであって。

ああ、こっちが色々やってるのに、そんなの気にならないくらい、今私がやっていることはどうでもいいのね。
家のことなど、相手の人にも関わることを「私」が一手にやっているのに、何も気にかけてくれなかったら、そんな風に思ってしまいます。
そこで、「言ってくれ」派の人からしたら、「いや、そんなの思うよりも相手に言っちゃった方が早いだろ」と思うかもしれません。
まあ、確かにそうなんです。言っちゃった方が早いのは分かります。
でも、「察してくれ」派の人からしたら、「家のこととか、相手と私のお互いに関わることなのに、相手は何も気にかけてくれない。」ことの方が、そもそもおかしいわけです。

相手と私のお互いに関わることなのに、何で手伝うとか言ってくれないのかな。
どうでもいいことなのかな。
それっておかしくない?
という感じ。
だから、「相手がおかしいんだ、私は悪くないもん。」という気持ちになり、ますます言わないで不満が溜まっていく、という悪循環。
これは夫婦含む家族間だけでなく、仕事関係等でも同じことが言えるかと思います。
周りを見ていろいろ気が付く人からしたら、

あなたにも関わることをこっちはやってるんですけど。
なんでそんなに無関心でいられるわけ?
って不満を抱くと思います。
結論、こう思うのです。
察してくれない
=気にかけてくれていないことの表れ
と感じ取って、不満に思う。
とりあえず、「言ってくれ」派の人には、上記の思考回路を理解してくれたら嬉しいなと思います。
「お互いに関わることなのに、気にも留めてくれてないの?それっておかしくない?」という感情が、どうしても絡んでくるものなんです。
転じて、「私自身への気持ちもそんなもんなのね。」とこじらせてしまうこともあります。
よく、

なんですぐ不機嫌になるんだ・・・。
とか世間で言われたりしますが、背景にこういう思考回路があると、不機嫌になるのも当然ですね。
いきなりすぐ不機嫌になるんじゃないんですよ。
面倒なやつだと思うかもしれませんが、不機嫌になるのだって、ちゃんと段階があるんです。
察して行動することを相手にも求めると疲れる
「こっちは、あなたに関わることまでやってるのに、何で察して、気遣って、声をかけたり手伝ったりしてくれないの?なんでそんなに無関心なの?あなたにも関わることなんだからそれくらいするのが普通でしょ!?」
「察してくれ」派の人は、こういう不満が生まれるわけです。
これって、相手にも、「察して行動してくれ」と期待してしまうから、不満が出てきて疲れるのだなあと思います。
そりゃもちろん、「○○やって」って言う前にやってくれたら助かりますし、思いやりを感じられて嬉しいです。これが理想だと思います。
でも、当然ながら、相手は自分の思い通りには動いてくれない。
「察してくれ」の考え方と無縁の人からしたら、「は?なにそれ、めんどくさ。」ってなると思います。
なのに、相手にも理想の形を実現してほしいと期待してしまうから、不満も疲れも出てくるということだと思います。
「相手は自分の思い通りには動いてくれないのが当たり前」、としっかり認識した上で、相手に期待しすぎず、やってほしいことは言葉で伝えれば、
「察して動いてくれよ、それぐらい普通でしょうよ。」という不満や疲れが、だいぶ減ると思います。
さらにプラスアルファで、「お互いに察して気遣える」という状況を実現したいなら、相手にちょっとずつ要望を伝えていくのもいいと思います。
因みにうちの場合、基本的に家事は分担していますが、ものによってはどちらかに偏る時があります。
それで揉めたことがあるんですが、

無関心なわけではないよ。
手伝ってって言われないってことは、手出しする必要がないと思ってるだけ。
逆に自分は、手伝ってほしい時は手伝ってって言うし、必要ない場合は言わないから。
と言われたので、「なんでそんなに無関心なの?」という不満は解消されました。
一瞬そんな不満がよぎっても、

いやいや、別に無関心で手伝わないわけじゃないもんね。
と、一旦感情を整理して、「これ手伝って」と伝えることで、不満を溜めずに過ごせています。
思い切って話し合いをしてよかったなと思います。
その話し合いの時に分かった、「言ってくれ」派の主張や、もともと「言ってくれ」派一択だった私の考えは、次の記事でお伝えしていきます!
さいごに
今回は、「【察してくれ】と思う人の主張」をご紹介しました。
(ミリー家の話ですが。)
お互いに気遣いができて、先回りして手伝いができるといいですが、なかなかそうもいきませんよね。
自分自身だって、常にうまく先回りして行動できているかと言われたら、多分できてないです。
だから、
①「相手は自分の思い通りにはならない」
ことを念頭に置いて、
②相手に期待しすぎずに、
③やってほしいことを言葉で伝える
という3つのポイントが大事だと思います。
では、今回はここまでです。
お読みいただきありがとうございました!
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